九州〜中国〜近畿の旅

写真で綴るツーリングレポート

時 期:1992年 秋
日 数:6泊7日
バイク:SUZUKI GSX400S KATANA
1992年10月28〜29日

1992年の秋、大学の文化祭の期間を利用して、買ったばかりの刀で鹿児島の大学に通う友人を訪ね、そのまま九州をまわり、中国地方、関西地方を通って東京まで戻るというツーリングを行いました。これほど長いツーリングは初めての経験だったのですが、やや行き当たりばったりの計画性に乏しいツーリングでした。バイクも買ったばかりで、慣らしの途中。ツーリングでの快適性など何も分からぬ状態での出発でした。
川崎から宮崎まではフェリー。船内で1泊。バイクでフェリーに乗ったのも初めてでした。友人に宮崎港まで迎えに来てもらいましたが、当日は雨でした。

1992年10月31日

鹿児島県国分市の友人宅に2泊。その間に鹿児島周辺や宮崎のシーガイアの入口まで行って帰ったり、というあまり意味のない?観光をして出発。再び宮崎を通り、大分駅前で駅を撮影。もう午後2時すぎ(^_^;)当日中に、雲仙まで行く予定なのに大丈夫だろうか…。本当は、湯布院辺りに泊まりたかったが、友人が「宿取れないでしょー」というので諦めたのがまずかったか?とにかく、先を急ぐ。

九州ツーリングのメッカ、やまなみハイウェイにて。山の上の方は既に白くなってきています。たしか平日だったので、道も空いていて、快適に走れました。この道は、高校の修学旅行で通り(バスで)いつかバイクで来たい!と思ったので行ってみました。道も景色も最高です(^^)しかし、時間がなかったので、長居はせずに、そのまま熊本市内へ抜け、フェリーに乗って普賢岳で有名な雲仙へ。この日はビジネスホテルに泊まり、地元の居酒屋で軽く一杯(^^)

1992年11月1日

雲仙に着いた時は暗くて何もわかりませんでしたが、翌日は晴れていたので、普賢岳を見ることが出来ました。まだ、沢山の家屋が埋もれたままになっていて、普賢岳も頂上のみ雲がかかているのか、煙っていて不気味な感じ…。通行止めにしてある所を脇からすり抜け少し入って見るが、言い知れぬ恐怖感が湧きあがって来てすぐにひき返しました(肝っ玉小さいですね)。火砕流は時速200km/hくらいで迫って来るらしいので、全開で逃げても、一般道では無理だな、と思いながら後にしました…。

次に立ち寄ったのは長崎市内。写真左は、大浦天主堂です。ここも高校の時の修学旅行で来た場所です。行った事ある方も多いのではないでしょうか。

写真右、オランダ村の入口付近で、また記念撮影。ここも写真のみ。この後、ハウステンボス前でも記念撮影。なんだか、ただ行ったという証拠写真を撮ってまわっているような感じ。

なんだか中央の木がつながってみえますね(^_^;)

長崎の観光案内はこちらをどうぞ

長崎定番スポット第3弾、平和記念像です。青空に白い銅像がはえますね。ここも写真だけ撮ってさっさと退散です。この日はあと、平戸経由で小倉まで行かなくてはいけないんです。今日も先を急ぐ。

ここは小学生の時に来た平戸島。島内をバイクで適当に徘徊し、昔泳いだ海岸で記念撮影。昔来た場所へ再び、今度は自分だけで来るというのは、何となく大人になった気分になります。しかし、もう日が傾いて来ています(^_^;)

1992年11月2日

前日、夜にようやく小倉の東急インに到着。ホテル周辺で晩御飯を食べるべく出歩くと、ホテル周辺はミニ歌舞伎町的雰囲気の町並み。呼び込みのおにーさん、おねーさんをシカトしつつお好み焼き屋を見つけ、お好み焼きを食べつつ、軽く一杯(^^)

写真は、関門海峡の九州側にある公園から関門橋をバックに1枚。後に、この橋(高速道路)を渡りましたが、工事中の為なのか、端から下が見えてヒジョーに怖かったです(やはり肝っ玉小さいですね)。

ここは、日本一有名な鍾乳洞「秋芳洞」です。秋吉台にあるので、「秋吉洞」かと思うとそうではないようです。昔、川口浩の探検隊とかが大好きだったので、この手の場所は外せません。洞窟内を探検隊気分で(と言っても、完全に観光地化されているんですけどね)したあと、秋吉台のカルスト大地を見て、その後焼き物の町、萩に向かいました。










秋吉台・秋芳洞の観光案内はこちら

萩の町は、昔ながらの日本家屋などが残っている所もあり、刀とはネーミングだけかもしれないが、ぴったり来る場所。それっぽい所で記念撮影。萩にも昔来たことがあり、その時は市内を自転車でまわったのですが、今回は当然バイクでまわり、萩焼きの工場直営店のような所でマグカップを購入。これは2004年の現在も朝、紅茶を飲むのに使っています(^^)
その後、日本海側をしばらく走ってから、中国山地?を横断するように走り、広島県へ。日本海が穏やかで、きれいな水色をしていたのと、山々がどこまでも紅葉していて、とてもキレイで印象的な景色でした。
そして、そのまま中国自動車道から関西地方を目指していましたが、暗くなって来たので、六甲山辺りで下りて宿を探すことにしました。この日は宿を決めていなかったのです…。六甲山の山の中であまりキレイでない旅館を発見するも、満員で断られ少々焦る(-_-;)しかし、やや下った所にあったちょっと高そうな雰囲気の「六甲山ホテル」はOKとのこと。値段も素泊まりで7000円と以外とリーズナブル。ホテルの人もとても親切で、非常に良かったです(^^)

1992年11月3日

六甲山ホテルで宿の人達(バイク好きなようでした)に見送られ、神戸の市街地へ。ポートアイランドなどを見てまわり、また高速道で京都方面へ行き、琵琶湖の見えるSAで大津にいる友達と京都にいる友達と会うはずが、結局大津の友達にしか会えなかった。SAにバイクを置き、友達の車で比叡山(?)へ行くとちょうど流鏑馬をやっていた。見物してからSAに戻ると、京都の友達からの手紙がバイクに挟んであった。もう少し待っていれば会えたのに、残念。その後、豊橋の親戚の所に寄って夕食をご馳走になり、東京まで戻りました。最終日が距離は一番長かったです。総走行距離は1500km前後だったと思います。燃費は平均18km/l位であまり良くない感じでした。でも、それ以外は、ツーリングには以外と適していました。低速トルクもあり、疲れにくかったです。