’01年もて耐
                                                   〜3/1000秒に泣く〜


'01SUZUKI GSX-R1000 もてぎヴィクトリーコーナー

日時:2001年8月末
場所:ツインリンクもてぎ フルコース
参加:229台
マシン:’01SUZUKI GSX−R1000
第1ライダー:タッキー
第2ライダー:自分
第3ライダー:ウッチー


前年もて耐は…

 ’00年にライダーとして初めて参戦。マシンはSUZUKI GSF1200。マシンはドラスタチームで初年度走ったスズキさんがチューンしたマシン。150psくらい出ていたらしく、直線は速い!が、フレーム剛性(特にネジレ剛性)が充分でなかったようで、ストレートで激しく振られることが度々(>_<)ちょっと恐い…。しかし、練習では何とか予選通過出来そうなタイムが出ていたのの、予選ではその1秒落ちのタイムで予選101位。速い方の3時間耐久への参戦となりました。決勝は順位よりも楽しむことをメインに、通常延べ4人で走るところを、1人2回ずつの延べ6名で走る作戦で走った。そのため、順位はイマイチでしたが、ライダーとして参戦した初のもて耐は、少々不満はあったものの、無事に終える事が出来ました。 





←GSF1200。こういうバイクで決勝出られるとカッコイイんですけどね。





前哨戦 もてぎ選手権 オープン3時間耐久…

 ’01年は、’00年にもて耐で一緒に走ったウッチさんに誘われ、ウッチーさんの知人で、もて耐やもてぎ選手権に参戦していて、予選を通過出来そうなマシン(’96GSX−R750)と走りをしているというタッキーと3名で参戦することになった。
 この年はもて耐の前哨戦と言われる、7月の3時間耐久レースにも参戦。しかし、この時のマシンであるGSX−R750はキャブ車なのにセッティング用のジェット類すらない状態。エンジンもイマイチ調子が出ない中、アレコレ試していたが、調子は走るごとに悪くなり(+_+)、レース中には古い400ccすら直線で抜かせなくなり、もて耐参戦に暗雲が…。しかーし、男タッキー、レース中にバイク屋さんに電話して最新型のGSX−R1000の新車を注文!本番まで1ヶ月の中、急遽マシンを1から仕立て、何とかレースに間に合わせた!


もて耐 公式練習…

 事前にマシンのシェイクダウンで、タッキー&ウッチーがノーマルタイヤで走行して2分8秒台を記録していた。しかし、足廻りのセットアップも当然ながら全く出来ていないので、その中では充分と思えるタイム。タイヤを換えて、足を決めればもっとタイムは上がるはず。公式練習で初めてハイグリップタイヤ(BS)を履いて見る。タイムは当然のように詰まるが、振られたり、旋回性がイマイチだったり、ブレーキングで跳ねたり、と問題は様々。しかし、事前に走っていなかった自分を沢山走らせてくれ、タイムは何とか2分5秒3まで出た。このタイムなら予選は大丈夫でしょう。このタイムが出れば、だけど…。
 公式練習では各チーム、気合入りまくりだったようでほとんどのセッションで転倒などにより赤旗(走行中止)となり、大荒れ状態。挙句の果てには場内アナウンスで「本日は公式練習です。皆さん、落ち着いて走行して下さい」と注意される始末(^_^;)ちょっとヒートアップし過ぎですよね。

予選…

 予選は第1ライダーと第2ライダーがそれぞれの枠で走り、良い方のタイムがそのチームのタイムとなる。計時予選での通過は55位まで。プラス11台が主催者推薦で合計66台が7耐出場となり、それ以下はタイム順に3時間耐久2つ(速い方と遅い方)か、それ以下の2時間耐久に出場となる。
 我々のチームの第1ライダーはタッキー。大排気量でのレースに慣れているとはいえ、まだまだ馴染んでいないマシンで、セッティングも出ていないためか、2分6秒951というタイム。予選通過は微妙な感じ…。
 第2の自分が出て行く。足廻りはタッキーの予選時の意見など聞きつつ、多少自分の好みの傾向などもミックスして見る。マシンは最新型というだけあってやたら速い!音は耳栓をしているので「シューン」という感じにしか聞こえないが、一番スピードの出るダウンヒルストレートではデジタルのメーターが270km/hを表示。ブレーキングでリヤが跳ねてしまうのが気になる…。そしてタイムは2分6秒350。これまた予選通過は微妙なところ。練習よりも1秒遅い(-_-;)
 予選終了後、計時予選結果がしばらくしてから発表になり、結果は58位ということ。無情にも55位までに残れなかった。しかし、主催者推薦枠に余りがあると計時予選上位から繰り上がるので、嘆願書でタッキーは息子の学費を削ってマシンを用意した、など泣ける?話しを書いて提出しつつ最終的な7耐出場者の発表を待つ。
 そして、7耐出場者の発表を見てガッカリ(T_T)なんと、計時予選の57位までは出場出来ることになっていた。つまり、我々は予選落ち1番…。57位との差3/1000秒。これは250km/hくらい出ている計測地点での予想では、50cm前後の差という感じ。もうちょっと頑張っていれば…と言っても後の祭。翌日の3時間耐久では1番先頭、ポールポジションからのスタートだし、気持ちを入れ替えて「明日はぶっちぎりで勝ってやるぜぃ!」と皆で気合を入れていた。★もてぎHP…予選結果 

3時間耐久決勝…

 予選で良いタイムを出した方がスタートライダーとなるため、自分がまず走る。スタートはルマン式と言って、マシンをずらっとピットウォール側に1列に並べて、ライダーはコースの反対側から、合図と共に一斉に駆け寄り、エンジンを掛けてスタートする方式。スタートは得意だが、走るのはあまり得意でない為か、スタートでCBR900RR1台に抜かされる。あとで聞いたら、この人は実はフライングだったらしい。慌てても仕方ないので様子を見ようと思ったら、1周目のヴィクトリーコーナー(最終シケイン)の進入で先行していたCBR900RRがグラッと振られたので、アウトから被せて抜く。これでトップを奪還。そのまま1周目を終了し、前に誰もいない気持ちいい〜状態で2周目以降に入る(^^)
 決勝前に足廻りをウッチーさん推奨セッティングに変更したら、それがかなりいい状態で、ブレーキングでも、無理をしなければ跳ねないようになっていた。誰にも邪魔されない事もあり、ペースも徐々に上がり5秒台を何度か記録し、最高で5秒3と予選よりも無理してないのに1秒速いタイムが出た。これが昨日出ていれば…という感じだが、今回は準備の時間が無かったので仕方ない。トップを気持ちよ〜く走っているうちに、2位との差も徐々に広がってピットイン前には14秒程度と独走状態になっていた。場内のモニターには、ほとんどトップを走る自分の姿が映っていたらしい(^^)確かにストレートに来ると、ピットの上にある巨大モニターに自分が映っているのが横目で確認出来た。
 約40分の1回目の自分の走行時間が終わり、給油とライダー交代のためピットに戻る。ピットでは次に走るタッキーがかなり緊張しながら待っていたらしい(^_^;)全て順調に思えたがしかし、なんとマフラーのサイレンサーを吊り下げているステーのボルトが無くなり、マフラーがユラユラしているではないか!トップ独走も何処へやら…。慌てて合いそうなボルトを探し、組み付けるが2周以上の遅れとなってしまった(>_<)起こってしまったトラブルは仕方ない。それが耐久の醍醐味とも言えるが、たった3時間のレースで2周以上の遅れを取り戻すのは不可能に近い。しかし、タッキーも諦めず走り、無事に第3走者のウッチーさんにバトンタッチ。ウッチーさんの頃には相当タイヤが厳しくなっていたらしく、タイヤ交換をしないことも考え、コーナーではやや抑え気味に走りタイヤを温存してくれた。それでも、さらに順位を回復し、最後のライダー交代までに何とトップと同一周回まで挽回していた!
 そして最後の走行。タイヤはフルバンクさせるとかなり流れてしまう状態で、立ち上がりでも振られる。この年の春に膝を折ってからちゃんとリハビリしていなかったせいか、途中から体力的にかなりキツくなって来てしまった(>_<)最後の方は余りにもキツくて、ハンドルから手が離れそうになり、何度もピットインしてしまおうか?と考えたが、一人で参戦しているスプリントならいざ知らず、大勢で参加している耐久レースでそんな事は出来ない。何とか気力を振り絞って走る。目の前に、YZF750がいて「これを抜くと6位か?」と思ったが、本当にもう限界…という感じだったのでそれを抜かすこともう出来ず、6位とは1秒強の差で7位。これしきで体力が続かないとは情けない…。そして、トップと同一周回は我々まで、という結果でした。
 今回はバタバタの参戦で、3耐でも些細なトラブルで優勝を逃してしまいましたが、何となく今後に期待を持たせる内容ではありました。そして、自分の体力の低下を実感し、レース後は近所のエグザスで翌年のもて耐に向けて体力アップを試みました。トレーニングってホントは嫌いなんですけどね(^_^;)  
★もてぎHP…3時間耐久決勝結果    ★もてぎHP…もて耐とは


多分、もてぎの2コーナーかヘアピンコーナー