’98、’99年もて耐
                 〜ドライバースタンドRTのお手伝い〜

 もて耐の第1回大会である’98年、当時働いていた会社の取引先からドライバースタンドの社員チームが、もて耐に参戦するので手伝って欲しいという要請を受けて、会社から業務の一環として手伝って来るように言われ(^^)、メカニックとして手伝うことになりました。

 ドライバースタンドは私の担当する卸業者が取引をしていたわけではないのですが、2輪の担当ということと、当時個人でレースに参戦していたこともあり、レース経験者がいないドライバースタンドRTのサポートとして呼ばれました。

 ライダーはイノウエさん、カンノさんがドラスタ社員、スズキさんがドラスタへ卸している会社の社員という陣容。皆、本格的なレースは初めてという超素人集団ながら、バイクいじりはかなりの経験があるという面々で、他にもメカニックやヘルパーとしてドラスタ社員が多数参加していました。ドライバースタンドの方々とは面識はありませんでしたが、そこはバカが付くほどのバイク好き、という共通点からすぐに“共にレースを闘う仲間”となりました。

 このもて耐というレースは、誰でも気軽に参加出来て、誰もが楽しめる世界最大の草レースを目標に始められた耐久レースで、基本的に参加車両は自由(排気量100cc以上でホイールが前後16インチ以上)となっています。初年度や2年目くらいまでは、決勝である7時間耐久に出場するのに、スーパースポーツ的車両(CBRやYZF−R1等)は必須ではありませんでした。倉庫に眠っている古いレース車両などを引っ張り出してきたり、お気に入りのバイクで参加したり、車種はバラエティに富んでいました。

 ’98年のドラスタチームの車両はKawasaki GPz900R Ninja でした。これをアレコレチューンしてスリックタイヤ(初年度はスリックOKでした)を履かせての参戦でした。マシン的には最新のスーパースポーツには劣りますが、頑張れば予選は通過できそうでしたが、予選でタイヤが異常に磨耗してしまう、というトラブルに見舞われ、満足なアタックが出来ず、計時予選は予選落ち。しかし、イノウエさんが用意しておいた大量の嘆願書用の資料と、もてぎに顔がきく知人に頼みこんで(^_^;)何とか主催者推薦枠にねじ込んでもらう事に成功しました。
 予選でトラブルの出たスリックタイヤは、決勝では使わず、普通の溝付きタイヤで走ったので決勝の順位はあまり上位ではありませんでしたが、暑い中皆頑張ったお陰で、充実したレースとなりました。


 ’99年も前年に続き、ドラスタチームからお手伝いの要請があり、会社の許可を取って“業務”として参加しました。感覚的にはすでに“レース仲間のお手伝い”という感じなのですが、そこは大切なお客様?ちゃんと出張手当てをもらっての参加でした(^_^;)接待ゴルフならぬ、接待レース、という感じでしょうか?やや後ろめたい気分。

 この年のライダーは、3人ともドラスタの社員。イノウエさんとカンノさんにこの年は、以前全日本で250のレースに参戦していた実績のあるヤマシタさんが加わりました。この年までは国際ライセンス所持者も予選のタイムアタックが出来たので、心強い味方の登場でした。しかし、レースは久々だったということで、予選通過タイムはカンノさんが出して、ギリでしたが、実力で本戦である7耐に出ることが決まりました。

 マシンは前年の忍者から同じKawasakiのZX−9Rになり、マシン的にも戦闘力は各段に上がっており、タイヤ交換をし易い様に改造したお陰で、最短45秒程度で前後のタイヤ交換を行えるまでになっていました(私は前輪の左側担当)。

 そして決勝は、スタート直後に全日本で活躍した有名選手が亡くなるというアクシデントなどもありましたが、ドラスタチームは無事完走し、なんと13位でフィニッシュ!これはKawasaki勢では最上位で、上位のチームはほとんどが有名ショップのチームだった事を考えると、これ以上ない、といえるほどの好結果でした(^^)