ミニバイクレース


ミニバイクレースとは、主に50ccのバイクを使ってカートコースで行われる(大きな大会では普通のロードコースも使用されます)レースで、小学生くらいから大人までが気軽に楽しめるエントリークラスのレースです。一番盛んなのは、50ccで12インチのホイールを履いたホンダNSR50を使ったレースで、ノーマルマシンのN−12クラス、小改造が許されたSP-12クラスが人気です。他に17インチホイールのクラスや、スクータークラスなどもあります。また、短距離のスプリントレースから長時間の耐久レースまで様々なレースが日本全国で行われ、ここで育った選手が世界で活躍するようになっています。

管理人のマシンの仕様
HONDA NSR50(’89年型) 
チャンバー:パワーパイプ製(563型)
リヤサス:ショーワ製
タイヤ:最初はヨコハマ、後半はBS。たまにダンロップやIRC。
カウル類:不明(FRP) キャブボックス:不明 ステップ:ノーマル加工
ブレーキパッド:プロジェクトミューなど ブレーキホース:RS125用
リザーバータンクガード:不明(アルミ) 水温計:デイトナ製(デジタル) 
オイル:BPシンセティック2T-R(50:1) 燃料:レギュラー(銘柄は適当) 
点火時期:加工してやや早めに変更 等々
感想…かなりボロかったので、速さは中の上くらいでした。毎回のようにコケていたので、
    ハンドルなど、アチコチ曲がっていたりしましたが、基本的なメンテナンスはしていた
    ので、焼き付いたりすることもなく、淡々と走ってくれました。

秋ヶ瀬サーキットオープニングレース…レース初出場
●開催日:1989年2月12日 ●場所:サーキット秋ヶ瀬 ●クラス:YSRクラス
●参加 :7台くらい ●予選  :?位 ●決勝  :5位
秋ヶ瀬は、これ以前に1回練習走行に行ったことがあり、この日も練習に行こうか?と高校の先輩や友達と話していたところ、雑誌に「オープニングレース開催」の広告が出ているのを発 見し、当日参加OK!と書いてあったので、急遽前日に参戦が決まり、自分のYSRを先輩の家のガレージでメンテナンスを始めたという、何とも行き当たりばったりな初参戦となりました。しかも、メンテを始めたのはいいが、普段あまりメンテをしていなかったせいで、ボルト類がなかなか緩まず、結局徹夜作業になってしまい、全員寝ないでサーキットへ向かいました(+_+)
 サーキットのある河川敷に入って行くと、前にノロノロとしたスクーターに乗ったオジサンが居たので、時間ギリギリだったこともあり運転していた先輩が「ピーッ!」とクラクションを鳴らすと、ビックリしたオジサンは、そのまま用水路のようになった小川へ一直線に消えて行きました…。しかし、時間ないし…と言って、そのオジサンには悪いがそのままサーキットへ向かわせてもらいました…爆笑しながら(^_^;)
 サーキットはオープニングレースというだけあって、以前走った時とは全くレイアウトが変わっていて、路面もキレイで以前とは大違い。YSRクラスはエントリーが少なかったので、走りやすかったのですが、マシンはタイヤも含めてフルノーマルだったので、高速複合コーナーの1〜2コーナーでは、常に前後輪がスライド状態で、走ってる本人はGPレーサー気分ながら速さは全くなく、ちょっと無理すると、すぐに横を向いてしまう状態で、確か1回転んでの5位でした。しかし、5位でも賞品と小さなトロフィー(生まれて初めて)を貰い、ちょっと嬉しかったです(^^)

まるち杯8時間耐久ミニバイクレースin日光…無謀にも2人で参戦
●開催日:1996年7月28日 ●場所:日光サーキット ●クラス:SP-12クラス
●参加 :34台 ●予選  :なし ●決勝  :10位(568周)
この頃は確か既にS80とかを始めていたと思うのですが、ミニバイクの耐久レースは面白く、特に日光サーキットはミニバイクの割りには大きめのサーキットのため、参戦することにしました。しかし、これまでは通常自分と先輩と後輩の3人で組んでいたのに、この日は先輩が用事があって、後輩と2人で走ることになり、鈴鹿8耐と同じ日に開催されるという灼熱地獄で、更にポジションのキツイ50ccで果たして大丈夫なのか?と思いつつ、後輩の彼女(現奥様)と元の会社の同僚にヘルパーで来てもらっての参戦となりました。
 最初の4時間は1時間交代で、後半4時間は45分交代という綿密な作戦をたて、スタートしました。この日は梅雨明け直後で天気も良く、気温もぐんぐん上昇して行きましたが、4時間くらいまでは何とか予定通り(1回転倒はしましたが)進行しました。しかし、やはり後半になると疲れてきて、自分の走行が終わって、トランポ(バイクを運ぶ車)の中でグッタリしていると、後輩がイレギュラーなピットインをして来ました。どうしたのか聞くと「もうダメです(+_+)」とのこと。しかし、それは認めず〔鬼ですね(^_^;)〕交代時間まで走らせました。で、自分の走行になり(日光は走りながら時計を見られるので)もう交代という時間になったので、頑張って走っていたのですが、なかなかピットインのサインが出ず「おーい、まだかよぉ〜(+_+)」と思いつつ走っていると、ようやくピットインのサイン。走り終わって聞いたら「なかなかタイムが落ちないから、まだ大丈夫だろうって走らせてた」とのこと…。「おーぃ!こっちはもうすぐ終わりだからって頑張って走ってたのにぃ!」とグッタリしながら怒ってました。最後の走行は、やや曇気味になったものの、体力が完全に限界を超えて、体を動かすと、足や足の付け根がつり、腰は伏せられないほど痛くなり、脱水症状で寒気はしてくるという悲惨な状態でした。タイムもアベレージで3秒くらい遅くなって、ただ走ってるだけ、という感じでした。
 しかし、結果10位で飛び賞でタイヤを1本もらったので、頑張った甲斐があったかな、というレースでした。でも、2度とこんな無茶な参戦はしたくありません…。

ミニバイクでの活動を振り返って…
ミニバイクは最初は、高校の友達・先輩・後輩とのお楽しみイベント的に参戦をしていて、みんなで楽しめるように耐久レースばかり参戦していました。しかし、マシン、トランスポーターなどイロイロと揃えていくうちに、スプリントにも出始めるようになりました。しかし、ミニバイクではとにかくよく転んでました。1回走りに行くと1回は転ぶ、という具合で、転ばないと「今日は転ばなかったよー」とそれだけで嬉しくなるほどでした。しかし、そのうちに、ミニバイクでは飽き足らず、お世話になっていたショップでそそのかされ?S80に参戦することになり、レースに首までドップリ浸かるようになっていったのでした…。