GP125


GP125というクラスは、世界グンランプリ(WGP)の1クラスとしても行われているカテゴリーで、下は各サーキットの選手権からあり、世界や全日本を目指す選手が多く参加する、最も競争の激しいクラスです。マシンはレース専用に作られた車両で、乾燥重量75kg前後に45ps前後のエンジンが載っています。これは、公道用のバイクで言うと、ギア付きの50ccに250ccのエンジン(パワー)と言った具合です。ですから、たった125ccとは言え、かなり速いです。タイヤもドライではスリック(溝無しのレース専用)で、ウエットではレインタイヤをはきます。国内ではホンダRS125が大勢を占め、他にヤマハTZ125に乗る選手がいます。出場しているレースのレベルによってチューニングの度合いは異なり、地方戦ではノーマルでも充分闘えますが、WGPともなると、まるで別物と言える程に変更が加えられます。一度、もてぎで坂田選手やチェッキネロ選手と練習時に走ることがありましたが、こっちは全開で伏せているのに、向こうは伏せる事も無く、ラク〜に抜いて行きました(^_^;)私が参加していた関東選手権は国内ライセンス対象のレースで、各サーキットの選手権と併催で行われ、富士・筑波・もてぎの各サーキットを年間2〜3戦ずつ転戦し、合計ポイントで年間ランキングが決まるというレースでした。そして、50p以上取ると国内ライセンスから国際ライセンスに自動昇格となっていました。

管理人のマシンの仕様

車体:’95RS125(NX-4)→途中で’00RS125用フレームに変更
主な変更点
サスペンシン:前後ライダーズサロン横浜キットサス(ショーワ製)
エンジン:ライダーズサロン横浜 Bキット(シリンダーヘッド)、全日本用シリンダー
      テックツー製ケース(ノーマル加工)、Aピスン使用
吸気系:パワージェット付きキャブレター(HRC純正)スロットルバルブ加工(自作)
排気系:ライダーズサロン横浜+テックツー製カーボンサイレンサー
カウル:ラムエア付きフルカウル+ノーマル形状シート(マジカル製)
タイヤ:ブリヂストン
ブレーキ:鋳鉄フロントローター(ブレーキング製→プラスミュー製)
      フロントパッド(プロジェクトミュー製)、リヤパッド加工(自作)
オイル:混合用(BPビストラレーシング2 35:1)、ミッション(BP バービス ゼロNA)
その他:シフター(K&T製)、デトネーションカウンター(HRC製)、シート滑り止め加工(自作)
     などなど。あと、詳しくは書けませんが、普通では手に入らないパーツもあり…
     お陰でかなり速くなりました(^_^;)
感想:最初は、キャブ、シリンダー、チャンバー交換程度の仕様で乗り始めました。
   セッティングは、結局S80と似たような傾向になったので、乗り方にかなり左右
   される、と言うのがわかりました。’00年途中からはかなり速かったです。
   ライダーズサロン横浜(RSY)とテックツーは仕事での関係があり、全日本でも
   チューニングや開発能力では定評のあるショップでしたから、イロイロと協力して
   頂き、あまり練習できない分をパワーでカバーしてました(^^)確か、’00年はじめに
   RSYでパワーを計測した時は、後輪で43.3psありました。エンジン出力だと、
   48ps前後と思われます。実はそれから更に速くなっていたので、パワー的には
   もっと上乗せされていたのではないか、と思います。速すぎ…(^_^;)

’98もてぎロードレース選手権 第1戦…GP125デビュー戦
●開催日:1998年3月1日 ●サーキット:ツインリンクもてぎ 東コース ●出走台数:22台
〜予選〜 
●天候:雪→小雨 ●路面:ウエット ●POS:4位 ●TIME:1’45.024 
●DELAY:1.893sec ●LAP:12
事前に何度か練習して向かえた本番。125はレベルが高いので、不安と緊張のままワンデー開催のレースを迎える。しかし、朝起きると現地は雪(*_*)入口のところにいた人に「今日は中止ですよね?」と聞くが「いやー、わかんないよ」と言われました。仕方ないので、屋根しかない東コースのピットにマシンや工具類を降ろし、準備を始める。そのうち、スケジュール通り受付などが行われ、ブリーフィングの時に「今日は、東京では大雪注意報が出ています…」だと。まだ、125ではレインタイヤをはいたことないし、こんな寒かったらグリップしないでしょ〜(T_T)
 しかし、予選前につよーい味方が現れた!それは、S80などでも一緒にレースに出たりしていたBSの125用タイヤを設計しているMさん。足廻りのセッティングを見てくれて、手伝いに来てくれていたチームのボスとキャブのセッティングも見てくれました。感謝感謝!そして、予選開始。最初はとにかく慎重に走り始めたが、流石に足廻りがいい感じに決まっていて、意外と行けそうなので、徐々にペースを上げる。走りながらコントロールタワー横の電光掲示を見ると、2番目にゼッケン22の表示。つまり現在2番手!おおっ!しかし、冷静になってしばらく様子を見る。その頃場内アナウンスで私が2番手ある事を知ったボスが、慌ててサインエリアからボードを掲示してきた。どうも、どうせ初めてだから大した順位にはならないだろうし、ゆっくり出せばいいか、と思っていたらしい(^_^;)で、ペースを上げずに様子を見ていると、すぐに4番手、6番手と落ちていくので、またペースアップして2番手に復活!ということを繰り返しているうちに予選終了。GP125初レースは何と予選4番手、フロントロー(最前列)からのスタートになりました!
〜決勝〜
●天候:くもり ●路面:ウエット ●POS:8位 ●BEST TIME:1’39.706 
●DELAY:21.710sec ●LAP:14 
決勝前には、曇になったものの相変わらず寒い(*_*)しかし、いきなり予選4位とは、自分でも出来過ぎな感じだったので、決勝はとにかく完走してポイントをゲットしようと思いました。路面コンディションは、公式にはウエットですが、ハーフウエットになりつつあり、サイティングラップ〜ウォームアップラップにかけてライン上は結構乾き気味でした。しかし、1台を除いて他はみんなレインタイヤを選択。で、決勝スタート!無難にスタートするものの、1コーナーで早くも何台かにパスされ、6番手辺りで1コーナーへ侵入。とにかく無難に、無難に、と思っていたので、徐々に順位は下がって行きましたが、それでも8位でゴール。もてぎ選手権の8ポイントをゲット!いきなりの上々の結果に本人もボスもインド人もビックリ!筑波のS80でもこんなイイ結果は無かったのに。なぁ〜んだ、125イケルジャン!もしかしてオレって天才?と勘違いしたのが、この後の人生を大きく左右する原因に…(^_^;)

 

←気温3℃の中、125で初のレース&初のウエットタイヤ&初のもてぎの レースと、初物尽くしのレース。寒さを感じるのは、チェッカーが振られた 後だけでした。


※上記のレース以降…
 もてぎ選手権の開幕戦の好結果に気を良くして、このレースの前に筑波で関東戦の開幕戦を迎えたものの、苦手な筑波&予選通過32台のところに出走65台と半分以上が予選落ちする状況であったため、予選38位(>_<)と見事予選落ち。もてぎでの好結果もどこへやら…(-_-;)筑波は苦手ではあってもS80時代には何度も走ったコースだったのに予選落ちとは。今回の富士は、ライセンス取ったばかりで、まだ2〜3回しか練習していない…。しかし、セッティングさえ決まればパワーにものを言わせて、という展開が期待できるコース。特に、登りとなっている最終コーナーは、4速全開(多分180km/hくらい?)でほぼフルバンク!という痺れるコーナー、そして1.5kmもあるストレート(125で230〜240km/h)へという感じで、コーナーで多少遅れても、パワーがあればそこで勝負が出来るサーキット。
’98関東ロードレース選手権 第2戦…関東戦初ポイント!
●開催日:1998年5月9日 ●サーキット:旧富士スピードウェイ ●出走台数:40台 
〜予選〜 
●天候:雨 ●路面:ウエット ●POS:21位 ●TIME:2’07.909 
●平均:125.932km/h ●DELAY:7.315sec ●LAP:6
もてぎ同様予選はウエット。出走台数は予選通過台数と同じ40台なので予選落ちもない。ということで、安心して予選に臨み、21番グリッドを獲得。真中よりやや後ろというのは、筑波のレースと同じだが、今回は決勝に出られる(^^)
〜決勝〜
●天候:くもり ●路面:セミウエット ●POS:13位 ●BEST TIME:1’52.256 
●平均:134.820km/h ●DELAY:46.936sec ●LAP:10
決勝前に雨は上がり、もてぎ同様ハーフウエットに(富士の公式記録は“ハーフ”ではなく“セミ”と表記、意味は同じ)。コース外から見ると乾きは遅かったが、タイヤ選択をギリギリまで悩みたくなかったので、30分前にはスリックで行くことを決断して決勝に備える。足廻りは、レインとドライの中間くらいにセット。サイティングでコースに出ると、意外と乾いていて、スリックでOKなコンディションでした(^^)得意のスタートで1コーナーまで(富士はかなりの距離がありました)に数台をパスし、土が出ていて滑り易い1コーナーでトップ集団の2台が転倒して混乱している隙に、更に順位を上げ、1周目は13位。キャブのセッティングも決まって、直線はかなり速い!最終出口でやや離されても、1コーナーまでにトップ集団に簡単に追いつける(^.^)しかーし、2週目の1コーナーで、目の前の3台がクラッシュし、それに撒きこまれ転倒しグラベルへ…。“終わった”と思いつつマシンを起こすとダメージは大した事無い様子。エアの吸入口を見ても泥は外側のみで、中に入っている様子はない。これなら走れるかな?と思い、グラベルから自力で脱出して自分に付いた泥で滑らないよう警戒しながらゆっくり走り出す。徐々にペースを上げ、メインストレートくらいから全開走行に戻る。同時に再スタートした2〜3台を振り切り、ポツリポツリと現れる前走車をどこでも抜けるところで1台1台、時にはストレートで2〜3台まとめて抜き去る。転んでスクリーンが曇ってしまったので、伏せると前が良く見えない(>_<)しかも、霧が出ているので、1コーナーのブレーキングは横目で150m看板を確認してかける感じ。この日は本当にストレートが速く、50mくらい離れていてもあっと言う間に追いつき、簡単にパスして行ける。無我夢中で、自分が何位なのか、どのくらいのタイムなのかもわからないうちに10周のレースは終了。この日も手伝いに来てくれていたボスの話で13位という事がわかった。転倒して34〜37位まで落ちたことを考えると、わずか8周で20台以上を抜いたことに!しかも、9周目くらいまではトップ3台と同等のタイムで走っていたらしい(^^)転倒が無ければもしかして…という勢いだった、とのことでした。くぅ〜っ!(>_<)リザルトを見ると、確かにベストタイムは全体で4番目となるタイムでした。これでまた勘違い復活!(^_^;)

※上記のレース以降…
 その後、次の富士のレースでは予選7位!決勝11位と中々の結果でしたが、相変わらず激戦の筑波では成績が残せない。もてぎでは富士よりやや落ちるものの、台数が少なめ(20台前後)ということもあり、ポイントは何とか取れるかな、という感じ。
 ’99年は全部でGP125だけで10戦か11戦くらい出たのはいいが、なかなか練習するヒマがなく、ブッツケ本番か、出来ても前の週に1回練習へ行く程度。これでは好成績は望めず、しかも慣れてきたせいか転倒も増え、散々な結果に…。で、’00年は関東戦のGP125全8戦の内、苦手な筑波2戦は敬遠し、もてぎ2戦と富士4戦に的を絞ることにしました。
 しかし、↓レースの前の富士の関東戦では、決勝グリッドについた後、エンジンが掛からなくなってしまい(イグニッションコイルのトラブル)、何とグリッドからスゴスゴとピットへ戻りリタイアという最悪な結果でした(T_T)原因は、そのレースの前に特殊なECU(エンジンコトロールユニット)に換えたせいで、コイルがパンクしたことらしい。ECUを換えると、たまにそういう事があるとの事。
’00関東ロードレース選手権 第7戦…初の上位入賞!
●開催日:2000年7月1日 ●サーキット:旧富士スピードウェイ ●出走台数:40台
〜予選〜
●天候:曇 ●路面:ドライ ●POS:3位 ●TIME:1’47.984 
●平均:147.271km/h ●DELAY:0.453sec ●LAP:9
前回のレースでは、マシントラブルから決勝を走らずにリタイヤとなったため、今回は一通りマシンをチェックし、問題ないかを確認して出場。前回投入した新しいECUがどれだけ効果を発揮するかだが、今回は予選でメインストレートでうまく2台のスリップストリーム(前走者の後ろに付け、空気抵抗を減らすこと)を利用出来たこともあり、チェッカーが振られて、100Rの出口からコントロールタワーの電光掲示を見ると、何と3位に自分のゼッケン17の表示!ヘルメットの中で「ヨッシャー!」叫ぶ(^^)仲間と喜びたいところだが、今回は一人ぼっちでの参加(本当はメカとかヘルパーが1人はいないとけないんですけどね)のため、車検員で来ていた城北ムラカミの村上さんご兄弟や、富士の田代課長などに報告しに行く。そして、マシンのメンテやチューニングでお世話になっているライダーズサロン横浜にもTELで報告(^^)その後、決勝に向けてマシンのメンテにかかる。
〜決勝〜
●天候:曇 ●路面:ドライ ●POS:5位 ●BEST TIME:1’47.543 
●平均:145.374km/h ●DELAY:3.728sec ●LAP:10
今回は予選も決勝もどのクラスよりも先だったので、なんと10時半ごろには決勝を迎える(^_^;)予選3位だとスターティンググリッドは当然フロントロー(富士は1列目は5台並ぶ)。遥か彼方の1コーナーまで、前には誰もいない。フロントローからのスタートは125デビュー戦のもてぎ以来。でも、今回はそれなりに経験を積み、マシンのチューニングもより高度になっている。台数も後ろに30台以上いる。
 富士のスタートはいかに上手く半クラを使えるか、にかかっている。ストレートが異常に長いので、ファイナル(スプロケット)を非常にロング(高速寄り)にするので、ただでさえ1速が高い設定のマシンが更に高くなり、スタート時は通常の倍くらい半クラを使うのだ。
 そしてレーススタート!1コーナーまでに2位のマシン(と言っても1〜5位は横並びのスタート)を抜いて、1〜2コーナー(複合)を抜けると何と前には1台!走りながら「おおーっ!今日はイケルデェ〜!」となぜか関西弁で思いつつ(^_^;)Aコーナー(1個目のシケイン)へ。ここのブレーキングは目標が掴み辛く難しいので、1周目ということもあり、やや慎重に入ろうとすると、インから2台ほどいっぺんに抜かれる。「ゲゲッ!」と思うが仕方ない。そのまま高速コーナーの100Rを抜け、ヘアピンへ行くが、またインをさされる。「やっぱり上位争いは気が抜けん」と思いつつやや順位を下げて、ストレートへ。集団で皆がスリップを使っているので、エンジンが回り過ぎて怖い(^_^;)何とか順位を下げないように、必死になって走るが、どうもリズムに乗れない。中盤辺りまで1位以下は集団になっていて、前にも後ろにも沢山の台数が走ってる。富士ではお馴染みの光景だ。しかし、その頃には余りにも必死になっていたせいで、腕があがってきてしまった(>_<)たった5周しかしてないのに…。このままでは最後までもたないと思いリラックスするように心掛けた。すると、ようやく自分のリズムを取り戻し、今まで必死なってようやくついて行ける状態だったのに、余裕でついていけるようになった!「なーんだ、これならイケル!」と思い反撃開始。コーナー区間では無理して抜かずに、最終コーナーまで前走者と間をある程度詰めて、ストレートの速さを活かして順位を上げる作戦を遂行。10位辺りまで落ちていた順位を、徐々に上げ始める。そして、チェッカー前にストレートで1台をかわして5位でフィニッシュ!6位までは入賞、レース終了後車両保管となるので、車検場に喜んでマシンを進めた(^^)そして、125では初めてのトロフィーと賞品をもらって大満足のレースとなったv(^^)v

※上記レース以降…タイヘンなことに…
次の富士の関東戦第9戦でも5位に入賞し(予選10位)、さらに第10戦のもてぎ東コースでは8位(予選12位)になり、その時点で関東戦GP125クラスのランキング7位(32ポイント獲得)となる。そしてその後、筑波で行われる全日本併催のエリア選手権(関東戦と全日本の中間のクラスで、国際or国内ライセンスで出場できる)にエントリー。当時、全日本には会社でサポートしているチームの現地フォローで行くことはあっても、レースに出ることは当然ないので、滅多にない機会ということで参加を決めた。しかし、そのためにレースウイークの水曜日に有給を取って練習に行ったところ、試作のチタンチャンバーなどを試していたため、タイムが出ず、最後に何とかタイムを出そうと思い「ウリャ〜!」とCX(シケイン)立ち上がりでアクセルを開けたところ、スパッとリヤタイヤがスライドしハイサイド(>_<)空を舞い、縁石上に落下。腰と足をシコタマ打って、あまりの激痛に動けず。筑波の職員のレース仲間が、救急車でやって来て「大丈夫?」と言われ、希望的観測で「多分、大丈夫…」というが、どう考えても大丈夫ではない(-_-;)メディカルに運ばれ、夕方までベッドで横になる。起き上がると吐き気がする。これはまずいな、と思いつつ、夕方になると、練習をしに来ていた仲間がマシンや道具類を片付けてくれて、着換えを持って来てくれた。何とか起き上がり、痛み止めの代わりに頭痛薬を飲むと、すーっと吐き気が引いたので「気分良くなった(^^)」というと、看護婦と友達に「そんなにすぐ効くわけないないじゃん」と突っ込まれる(^_^;) 結局、トランポは職員の友達が掛け合ってくれて、そのまま筑波に置いていいことにしてくれて、座間から練習に来ていた仲間の車で東京まで戻ることなった。で、東京に戻ってから直接病院へ行って、レントゲンを撮ると左坐骨&恥骨骨折、右足首挫傷という結果。診察した医者曰く「入院だね」。「入院したらクビになるんですけど」と言った(前から部長にはそう言われていた)のだが、「歩けないんじゃ、家に居ても大変なだけでしょ?」と言われ諦める…。結局そのまま2週間入院し、1週間自宅療養(T_T)。3週間後、出社すると上司、上層部の冷たい反応(-_-)結局半年後には、その会社は辞めました…。そのまま居ても肩身が狭いし、レースも出来ないですからね〜(^_^;)
’01関東ロードレース選手権 第1戦…GP125最上位!
●開催日:2001年3月25日 ●サーキット:ツインリンクもてぎ フルコース 
●出走台数:24台 
〜予選〜 
●天候:曇のち雨 ●路面:ドライ ●POS:11位 ●TIME:2’09.714 
●DELAY:3.507sec ●LAP:6
金曜日の練習日前日に会社を辞めて、いきなりの参戦(^_^;)懲りないヤツです。ケガ以来、半年振りで、中々タイムが出なかったが、もう会社というリミッターはない。しかし、今回は久々だったので、スペアの新品ピストンを買うのを忘れていて、本来なら公式練習30分×2本するところをパワーダウンを少なくする為、1本のみにする。そんな事情もあってか、予選はやや不満な11位。まあ、仕方ないところでしょうか。
〜決勝〜
●天候:曇 ●路面:ドライ ●POS:4位 ●BEST TIME:2’08.498 
●DELAY:31.579sec ●LAP:10
スタートはほぼ真中から。いつもようにスタートで少し順位を上げて1コーナーへ。そのまま5コーナーへ向かうと、上位陣がドドッと一度に5〜6台つられてコースオフしていて、後続も大混乱。「ちゃ〜んす」と思い、そっちの方は見ないようにして切り抜けると、前には2台!3位にジャンプアップ(^^)「おおっ、ラッキー!」と思いつつ、前を追いかけるが、流石に速く追いつかない。そうこうしているうちに、後ろから1台追いついて来た。すぐに抜かされ4位へ落ちるが、抜かれてからあまり差がつかない。そのうち追いつきバトル開始。いつもならストレートで勝負できるが、今回は部品の都合でパワーが出ていないので、いつもと逆に、直線で離されるのを、ブレーキングとコーナーで差を詰める!直線はスリップでついて行き、何度もブレーキングで抜くが、直線で抜き返される歯痒い展開が延々と続く。場内放送は単独走行になった1位、2位ではなく、ずっとこの3位争いを追っていたそうです(^.^)残り2周で4位に下がり、ラストラップの10周目、最後の力を振り絞り、その自己ベストのラップを出すものの、相手もベストタイムを出す走りで逃げられ、0.3秒差の4位でゴール(>_<)表彰台が目の前だっただけに、非常に悔しいレースになりましたが、元々は序盤で大量にコースアウトしたお陰なので、実力ではないんですけどね(^_^;)でも、開幕戦4位ということは、この時点でランキング4位です。

※上記のレース以降…
 ’01年関東戦第2戦富士は、なんと大雪で中止。得意の富士だけに期待していたものの、天気には勝てない。筑波はケガをしたこともあるし、苦手なのでパスして4戦目を迎えた。
’01関東ロードレース選手権 第4戦…GP125最後のレース
●開催日:2001年5月8日 ●サーキット:ツインリンクもてぎ 東コース 
●出走台数:23台 
〜予選〜
●天候:曇 ●路面:ドライ ●POS:12位 ●TIME:’33.505 
●DELAY:2.931sec ●LAP:9
東コースは不得手ではないのに、イマイチタイムが出ない。少なくとも32秒台は出ないと納得できないが、何と33秒台中盤。なんでぇ〜?という感じ(>_<)
〜決勝〜
●天候:曇 ●路面:ドライ ●POS:リタイヤ ●BEST TIME:1’31.836 ●LAP:11
スタート順位は真中。このレースは途中の展開はイマイチ覚えていない。というのも、ラストラップがあまりにも衝撃的だったから。ラストラップ、7位争いを3台で展開していた。自分は一番後ろの9位のポジション。そして、ゴールまであとコーナー3つなったS字2個目で、7位走行のO選手がいきなりハイサイド転倒(>_<)すぐ後ろを走っていたY選手は何とか避けたものの、止まれずにグラベル(コース外の砂利の部分)を突っ切りクラッシュパットへぶつかってしまった。Y選手に次のコーナーでしかけようと、こちらはY選手のマシンのやや外側から向こうのリヤタイヤにフロントタイヤを重ねるくらいのところだったため、Y選手とは違う方向へ避けると、O選手とマシンが避けた方に転がって来て、(その時は一瞬かつ必死だったので何にぶつかったかわからなかった)O選手を轢き、その衝撃で前に飛ばされ、グラベルに後頭部から落下(>_<)バウンドしてかかとを打ち転がった(T_T)…膝が痛いが起き上がり、駆け寄ってきたオフィシャルがマシンを起こしてくれて、一緒にガードレールの外へ向かった。ただ、見ると我々より先に転倒したらしきマシンとライダーが居たので、もしかしたら黄旗が振られていたのかもしれない、と思った。
 レース終了後、メディカルへ行きベッドで治療を待つ。膝が腫れているが、痛みはそれほどでもない。しかし、前を走っていた2人はそうではないらしく、Y選手の「いてぇよーぉ、いてぇよーぉ」という呻き声が室内に響いていた。居たたまれなくなって、湿布と包帯だけの簡単な治療だけで廊下に出た。ちょうど、仕事で知り合いになったもてぎの職員が居たので、車でパドックまで送ってもらったが、気分が悪くなって来たので、しばらく横になる事にした。波の様に吐き気が定期的に押し寄せるが、何とか堪える(>_<)落ち着いてからピットへ向かい、道具を仲間に運んでもらい、トランポに積み込んでもらう。ケガをしたのは左膝なので、マニュアル車である自分のトランポを東京まで運転して帰るのはちょっと気が重い(+_+)しかし、仕方ないので、なるべく膝を曲げないようにしてクラッチを踏み、なるべくギヤチェンジをしないようにして、自宅まで帰って来た。幸い、混んでなかったので無事到着(^_^;)翌日の仕事は、会社の近くまで親に送ってもらい、帰りは傘を杖代わりにして帰る。その週末には鈴鹿で仕事があり、重い荷物を持って階段を上り下りしていたが、どうも膝がグチャグチャする感触がある。同じ仕事で来ていたスポーツ整形の先生に診てもらうと「大変なことになっているかもしれないですよ」という恐ろしいお言葉…。東京に戻って病院へ行くと「また来たの?レース止めるんじゃなかったの?」と言われる(^_^;)膝が腫れているのは血が溜まっているかららしい。膝の横から注射針を刺して血を抜く。刺した瞬間“プシュ!”といって血が飛び出す!看護婦さんが思わず「キャッ!」と小さく叫んだ。50cc程出てきた。ベテラン看護婦さんが「折れてると油が浮くのよ」と言って抜いた血を観察しているので聞いてみると「少し浮いてる」とのこと(-_-)レントゲンの結果、膝の骨(下から来てる骨)の上部にヒビが入り、骨髄から出血。その部分の軟骨が損傷。それに、前十字靭帯の切断、という診断結果。その後、1ヶ月半松葉杖生活となりました(T_T)
 しかし、その後Y選手がした知人のHPへの書き込みで、彼が今回のクラッシュで下半身不随になってしまったことを知り愕然とした。その時点では、だれかを轢いたとは思っていたが、O選手ではなく、Y選手だったかも知れない、と思ったのでしばらく真剣に落ち込んだ。しかし、そのHPの管理をしている友人に聞いたところ、彼は誰にもぶつからなかったとの事で、少しほっとした。また、O選手の方はあごの骨を折ったらしいが、私に轢かれたことが原因ではない、ということもわかった。
 このあと、Y選手ともHPの書き込みで少し話す機会があり「またレースしましょうね」と彼は言っていましたが、結果的に自分の125でのレース活動はこれで終了となりました。

GP125ギャラリー(ツインリンクもてぎ ヘアピンコーナー・130Rにて)



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