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現身の魔法雪石


 十歳になったばかりのダイナ学園七年生のエコ・クラントは担当教官のマシュー・ホナーの元を訪れていた。次の自由課題の相談に来たのである。

 エコ・クラントの所属するダイナ学園は魔法・剣術・学問を教える総合学園である。生徒はエレガ・キュウ・ロマの三大陸から集まり、その構成は六歳から二十歳前後までの十二学年制体制の全寮制である。
 ダイナ学園の座右の銘は生徒の『個性と自主性の尊重』であり、単一的な強制的でない主に自由課題での単位取得を推奨している。それゆえに早く卒業したい生徒たちはこぞってレベルの高い自由課題に取り組んでいた。ただし飛び級が出来るのは最終学年前の11年生までである。11学年はしっかり、一年以上を要し、最終学年に上がるのは容易ではない。さらに、その上の最終学年は厳しいものになっていると言われていた。
 エコ・クラントもその生い立ちから早く卒業したい生徒たちの一人だった。その為、この当時は自らせっせと自由課題に挑戦していたのである。のちに彼は同級生のセーラ・リニー・ルーセンに勝手に自由研究を決められ、自主的な自由課題が難しくなる。だが、それはまだ少し先の話である。



 エコはいつものように重厚な樫で出来た扉を叩いて室内に入った。そして、普段と異なり片付いているマシュー・ホナーの教官室に眉をひそめた。いつもは足の踏み場もないマシュー・ホナーの教官室である。マシュー・ホナーなりの意図と独特の美的感で満たされつくした場所である。
 きっちり安定した形で積まれた本の壁を回りながらエコはマシューの養子マシュー・エアー・ルォが調べ物の旅から戻ってきている予感を感じた。
「よう! エコ」
 案の定、机の端にちょこんと座るエアー・ルォが親しげに声をかけて来た。
「こんにちは、エアー・ルォさん」
 エアー・ルォのその華奢な可愛い外見からは似合わない挨拶にエコは丁寧に軽く会釈して応える。一応は上級生で同級生のセーラと同じ歳でエコより二歳上のエアー・ルォある。
 金髪に近い薄茶の髪と瞳を持つエアー・ルォは髪を短めにそろえているせいもあってか、どこか中性的な印象を称えていた。お嬢様然としたセーラ・リニー・ルーセンと並べるとボーイッシュなエアー・ルォはエコには対照的に映ってみえていた。
「相棒のセーラはどうした?」
「知りません」
 心外だという顔で少しむっとして答えたエコの様子が面白かったのだろう。感情表現が大袈裟なエアー・ルォが豪快に笑う。おかげで更にエコのしかめっ面が酷くなった。
 エアー・ルォの笑いがひとしきり収まってから、穏やかなマシュー・ホナーの声が掛かった。
 エコの担当教官であるマシュー・ホナーは少し薄くなった白に近い銀髪の魔法教官である。年齢は七十歳代に見えたが、実際は謎である。
「次の課題の件じゃな、エコ」
「はい。よろしくお願いします」
 マシュー・ホナーはエコに自分が腰掛けている机の向いの椅子を勧めた。
 二人が向い合ってもエア・ルォは机に腰掛けていて出ていこうとしない。
「エアー・ルォ、もう、行っていいぞ」
 マシュー・ホナーはそう言って、銀色の瞳でエアー・ルォを促がした。
「残念! エコの自由課題に興味があったのに……」
 冗談じゃない! エコは心底そう思う。エアー・ルォにいいように引っかき回された課題の時を思いだし、軽く身震いする。
 名残惜しそうにエアが机から降りて教官室を出ていこうとして足を止めた。何気なく回した窓の外に視線を留めたまま、怪訝げに眉を寄せている。
「あれって、雪だよな……」
 何事もはっきりした性格のエアー・ルォである。歯切れの悪い言い方にエコもマシュー・ホナーも興味を引かれて、エアー・ルォの視線の先を追った。
 そして、二人とも一瞬、声を失う――。
 窓越しの空から、雪など降るわけもない澄みきった青い空から、ふわふわと紫色の綿菓子のような物体が降ってきているのである。大人の拳大ものが、ふわふわと……。
 三人で驚いて窓べに駆け寄って、再度、確認するように外を見遣った。
 エコは振ってくる空を、マシュー・ホナーとエアー・ルォは地上を。

 エアー・ルォは口笛を吹いた。
「やるじゃん〜♪」
「馬鹿なことを言っておらんで、止めるのじゃ!」
 マシュー・ホナーの有無を言わせぬ言葉にエコとエアー・ルォは教官室を飛び出した。マシュー・ホナーはうずたかく積み上げられた本柱の中かから一冊の本を魔法で呼び出し手に持って続く。
 その間にも、拳大のふわふわの紫の綿菓子が次々と青い空から降っていた。生徒たちは手に取ってみて匂いを嗅いだり、探索魔法を試して首を傾げたり、甘い匂いから好奇心旺盛にひと舐めしたりと様々である。だが、甘しょっぱいと誰かが不平げに言ったので誰もその後は口にしなくなった。

 エアー・ルォが口笛を吹いた人物は校庭のほぼ真中に他の生徒たちとは違った様子で優雅に空を仰いでいた。金の長い巻き髪を豊かに光り輝かせたエコの同級生のセーラ・リニー・ルーセンである。琥珀色の瞳に強い意思を宿らせ、手には何か耀く球体のような物を載せている。
 三人の中で素早いエアー・ルォが一番にセーラ・リニー・ルーセンの元に到着した。
 目聡くエアー・ルォはひょいとその耀く球体物を軽やかにセーラの手の上から取り上げた。それがこの異変の原因だと直感したからだ。すると今度は七色の小粒の雪というよりキャンディのような硬い粒が空から激しく降ってきた。
 外にいた生徒たちは痛さに堪らず、防御魔法やら回避魔法やを唱えて、建物の軒先へと逃げだした。
 もちろん、取られたセーラも大人しくしなどしていない。琥珀の瞳に怒りを浮かべて、エアー・ルォから取り戻そうと躍起になる。
 もみ合う二人から耀く球体物が零れ落ちる。それを二番手に到着したエコが運良く拾う。すると次は空から本当に雪のような綿雪が降ってきた。だが、それは普通の雪とは違っていた。手や物に触れた途端に水ではなく、どろりとした水飴へと変わったのだ。硬い粒じゃなくなったので安堵して防御魔法や回避魔法を解こうとしていた生徒たちは慌てて再度魔法を唱え直す。
 やっと、その頃になってマシュー・ホナーが防御魔法をかけながら到着した。落ちついた手つきで何事かを唱えエコから耀く球体を取り上げ、抱えてきた本を開いて耀く物を仕舞い込んだ。
 そのとたん、ぴたりと空から何も降ってこなくなった。見上げた空は平和そのものの、何事も起らなかったような青空に戻っていた。
「マシュー先生……」
 セーラが幾分か口を尖らせて不満そうに言った。
「お前さんは油断も隙もない御仁じゃのう。やれやれ……」
 マシュー・ホナーは校庭を見回し、拳大の紫の綿雪や七色のキャンディやべっとりまとわりついてる水飴の光景を認めて溜息を吐いた。
「仕方ないの……。片付けは三人で仲良くな」
 言われた三人から激しい抗議と不満の声が上がる。
「ダイナ学園では自己責任を尊重する。原因を作ったのはセーラくんだが、キャンディはエアー・ルォの責任じゃし、水飴はエコのじゃから、それぞれに責任を取りなさい」
 セーラは面白くなさそうにそっぽを向く。
 エアー・ルォは自己責任の言葉に弱いから『しゃぁないか』とぼやきながら頭を掻いている。
 エコだけが事態がわからずに一人で戸惑顔である。
「どうして、いったい……どうしてこうなったんです?」
「セーラがわしの所から輝石の入った魔法書を持ち出したのじゃよ」
「ええっ?!」
 エコは驚いてセーラを振り返る。
 だが、本人は悪びれた様子もなくそっぽを向いたまま、自信たっぷりに持論を展開する。
「だって、わたくしのためにその本が開いて目の前に現れたのですもの。これは然るに運命ですわ」
 エコは信じられないというように大きく目を見開いた。
 つまりはセーラはマシュー・ホナー教官室で許可なく無断で教官の本を持ち出したのである。セーラの行動に愕然とするエコである。もしかしたら、もっと恐ろしい結果が待っていたかもしれないのである。無謀と言えば無謀過ぎる。しかし、セーラらしいといえばセーラらしい。無謀な行動にでやすいセーラにエコは不安を強くする。
「ホナー。また、鍵を懸けないで本を放置していたな」
 エアー・ルォは養い親をなぜだか父親敬称では呼ばずにホナーと呼ぶ。
「そうじゃったかの〜」
 忘れていた不安要素がもう一つここにもあった。エコの背中に冷たい物が流れる。



 三人がげんなり顔で教官室に戻ると甘い紅茶の香りが漂っていた。見ると机の上に人数分の大柄なマグカップが置かれている。
「持論の魔法の消耗には甘いものがいい〜ってのは今回ばかりは拷問だよ。ホナー!」
 エアー・ルォが手振りもつけて大袈裟に苦悶の声を上げる。
 一方、負けず嫌いのセーラは澄まし顔で優雅にカップを口元に運んで飲んでいる。
 隣のエコはといえば、思わず口元を押さえてカップを見つめて困惑している。エコが今しがた格闘して片付けてきたのは甘い甘い匂いが漂ったねばねばべたべたしたシロモノである。はっきり言って、しばらく甘い物にはお目に掛かりたくないエコである。
「砂糖は入れておらんから、すっきりするじゃろうて」
 そう勧められても、紅茶の香りはどうしても甘さの記憶を呼び覚ます。
「こんなことでそんなだから背が伸びないんだぞ、エコは……」
 エアー・ルォに一番気になることを言われて、むっとするエコである。
「もうすぐ、背が高くなるんだよ。今はまだ、成長期じゃないから仕方がないんだ」
 むきになった勢いで自棄になって飲むエコである。紅茶はマシューの言った通りにすっきりしとした味わいを寄越して、エコはホッとする。
「まぁ、今回のことはわしの不手際もあるから、仕方がないが……。じゃが、セーラくん。次回からは持ち出したい時はちぃと相談して、といっても無理かの……」
 探る様に優しい銀の眼差しがセーラの琥珀色の瞳を覗きこむ。
 セーラはそれに怯むこともなく不敵に微笑み返した。
「しばらくは……セーラくん専用の探知機が必要かの?」
 そう言ってマシュー・ホナーは溜息混じりに笑った。つられてエアー・ルォも笑う。
 だが、セーラの澄ました表情は相変わらずである。
「マシュー先生、あの輝石はどういった魔法石だったのですか?」
 エコは自分だけがたぶんわかっていない疑問を口にする。
「そうさの、自分に見合ったものを空から降らせる魔法雪石じゃ。セーラは本にあったような大魔法使いが降らせたものを自分にも降らせたかったようじゃがの……」
 マシュー・ホナーの視線の先でセーラが自信たっぷりに答える。
「皆さま方のお邪魔がなければ魔法は完成できたとわたくしは自負しております」
 マシューが優しく諭す仕草でポンポンと黄金に輝くセーラの頭を軽く叩いた。
「今のお前さんじゃ無理じゃよ。それにじゃ、各々、降る物はみな違うのじゃからのう」
「お言葉ですがマシュー先生、あの本では金色の薔薇が降ると書かれてました」
「それは一つの例じゃて。セーラくんには紫の綿菓子が降ってきたじゃろう? 未熟なうちはあれは食べ物もどきで降ってくる。やがてそれはのう……」
 マシューが真剣な双瞳のセーラの琥珀色に悪戯げな眼差しを向ける。いったん言葉を切り、また、続ける。
「まぁ、あとは未来のお楽しみじゃて」
 みんな違う形で空から降るもの?
 やがてはそれは自分の分身みたいなものになるのかな……。
 とてもワクワクした不思議な感じがするとエコは思った。
「わしが七色キャンディでセーラが紫大綿菓子、そんでもってエコが雪水飴。なんだからしくてあるな〜」
 エアー・ルォが納得したような、感心したような、どちらともを含んだ言い方をした。エアー・ルォはマシュー・ホナーを真似てか同じように自分を『わし』と呼称する。



 マシュー・ホナーの教官室を辞去して、エコは傍らのセーラに言う。廊下には誰の姿もない。
「エアー・ルォはキャンディなんて、やっぱり、女の子なんだね」
 怪訝な面持ちで急にセーラが立ち止まった。鋭い視線で真意を探るようにエコを見ている。
「冗談でいってるのかしら、エコ?」
「えっ?」
「エアー・ルォは性別がおありではないという学園の噂さを知らないのですか?」
 エコはこの時分は自分のことで精一杯で学園の噂にはどちらかといえば疎い方であった。
「き、聞いたことない……」
「エアー・ルォはそのためにマシュー先生に引き取られたとか言われてますのに。ご自分の担当教官に関する噂話程度は把握しておくべきでしてよ」

 ダイナ学園にはいろいろな人種や事情を抱えた生徒たちが全寮制で学んでいる。ひとりひとりのかけがえのない運命を背負って、己の道を歩んでいる。エコもまた、例外なくその一人である。



 
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