あの日、クリスマスイブの前日、いつになく真剣な顔の孝之にあたしは一抹の不安を覚えながら、精一杯の笑顔で沖縄のお土産――孝之に似たシーサーを差し出した。
「優菜とはもう、これから付き合えない」
 はいっ!?
「優菜とはもう、これから付き合えない」
 はいっ!?
「じょ、冗談だよね?」
 そう、冗談。悪い冗談。驚かそうとしてるんでしょう。孝之ってば。
 孝之の真剣な眼差しに、あしたは引き攣った口角を可愛く上げようとする。
「別れよう。俺が悪かった。優菜とはもう、これからは付き合えない。すまない!」
 孝之が深々と頭を下げた。下げたまま顔を上げない。
 なによ、この信じられない展開。一方的すぎるよ。
 そりゃ、あたしの方が先に好きになったけど。
 ああ、そんなことは今は関係ない。
 頭を上げてよ孝之。ねぇ!
 なにがどうなって、こういう展開になるのよぉぉぉ? 誰か説明してよ!!
 あたしの頭は衝撃にクラクラ。思考は酩酊状態。
 別れるなんて、そんな話しはあたし達、一度も話したことないよね。
 前置もなしでいきなり破局って、なによ?
 こんな、こんな、一方的な別れ話しって、酷いよ。酷すぎるよ……
 あたしは孝之が好きで、別れるなんて考えたこともないのに、孝之、酷いよ。
 行き場のない思いにあたしはお土産を食い破りたくなった。その衝動を押さえようと口を堅く結ぶ。
 俯いたあたしの目に手が映る。沖縄のお土産のシーサーをぎゅっうと握り締めて異常に白くなってる、あたしの手が。
 「俺が悪かった。ごめん。本当にごめん」
 そう言って、孝之は行ってしまった。あたしに一瞥もくれないで。背を向けて、確かな足取りで……
 去っていく孝之が歪む。視界が歪む。心が歪む。あたしが歪む。世界が歪む。
 泣かない。泣くもんか。
 なにもしてないんだから。なにも……
 だって、あたしは孝之のことが好きなんだから。とても、承諾なんてできないよ。
 
 次の日、あたしは孝之ん家に行った。怯む心を励まして、竦む足に叱咤を送って。
 そこで見てしまった。後に絵画教室の前で会うことになった彼女と孝之が仲良さそうに家に入って行くのを。
 身体が動かない。声が出ない。
 孝之が、こちらを確かにちらっと見た気がした。なのに知らん顔。
 ああ、彼女に笑いかけてる。
 これって、孝之が心変わりしたっていうこと? そういうこと? だからなの、孝之?
 孝之の心にはすでにあたしの存在はないの? メールも電話もこれからはないの?
 でもさ、順番ってものがあるでしょう、孝之。これじゃ、あたしだけが置き去りだよ。どこにも行けないって。
 あたしだけが好きじゃ、どうしようもないのが恋だって、そんなことはあたしだって、わかってる。
 でも、納得なんて出来ないよ。 だった、だって、あたしは孝之が好きなんだから。


 あたしの高校は高二の十二月に修学旅行に行く。テストが終わって、終業式前に。
 場所は沖縄。水泳は出来ないけど水遊びはするらしく、この寒いのに持ち物欄には水着持参の記載。寒さにしっかり着込んでいるこの冬場に水着? 実感覚との違和感に、あたしの目には沖縄は別世界に見えてたんだと思う。
 やっと、二学期最後のテストが終わり、悲惨な日本史はまたもや悲惨で……
 でも、気持ちを切り替えて、いざ! 修学旅行!であたしは当日集合場所の駅へと出陣した。
 悲しいかな、あたしと孝之とはクラスが違う。当然、修学旅行のグループ行動も別。
 それでも、一緒の場所に旅行に行ける。そう考えるだけで、あたしは幸せで、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。幸せで……。
 修学旅行であたしってば、自覚なしで相当に舞い上がっていた。単純にウキウキしてた。全然、孝之の変化に気がつかなかったぐらい。今更ながらに自分を呪いそうになる。
 
「う、うっそー、来てないの孝之ぃ?」
 集合場所に当然あるはずの孝之の姿がない。
 修学旅行に孝之は不参加だと孝之のクラスの子が教えてくれた。しかも、ずい分前から孝之の不参加は決まっていたというおまけつきで。
 ええぇー?! そんなのあたし、聞いてない! 昨晩までのメールのやり取りだって。
 どういうこと???
 あたしはポケットから空色の携帯を取りだした。超早撃ちで孝之に詰問のメールを打つ。送信完了。
 ヤキモキしながら携帯を睨みながら待つ。待つ。待つ。待つ……
 だけど、五分たっても、十分たっても返事がこない。
 こうなりゃ直だ。電話をかけるてやる。
 だけど、待たされた上げくにお留守のお決まりのメッセージ。
 どうしてよ? なんで? どういうこと?
 なにがどうなっているのか、あたしにはわからない。
 今すぐに確めに行きたい!
 この際、忘れ物のをしたのでとか言って行こうか。それとも、具合が悪いのでの方が説得力がありそうか……
 し、しまった! 来た時に元気いっぱい溌剌に担任に挨拶してしまった。
 どの顔して、今更、具合が悪いの云々といえばいいのよぉ? 
 これじゃ、忘れ物のをしたのでで通すしかないじゃないの。
 が、案の定、忘れ物は運命と思って諦めろと言われて許可が下りなかった。
 他の方法を、ここを脱出するいい方法を。が、こういう時こそいい考えが浮かばないのが現実。
 そうこうしているうちに無常にも出発のタイムリミットが来てしまっていた。
 こうなったら、強行突破よ! それしかないわ。うん!
 だけど、一緒に楽しむ予定のクラスメートの腕があたしを阻んだ。
 後生だから見逃してくれ!と嘆願したあたしの叫びに「はい。はい。わかったから行こうね。怖くないからね、飛行機」と、クラスメート達が誤解して、あたしを引きずって行く。修学旅行へと――。
 孝之!孝之!何処で何をしてるのー?
 どうして、どうして、孝之! あたしの電話に出ないのよ!!
 
 それ以降、あの日まで孝之とは一切連絡が取れなくなってしまった。メールは戻ってこないし、携帯は通じない。孝之は補習授業にも部活にも来ない。
 あたしもいろいろと忙しかったけど携帯が繋がらないので補習と部活の合間に時間を作っては自宅に何度も足を運んだ。だけど、孝之には会えなかった。疼く嫌な予感は更に膨らんだけど、あたしはタイミングが悪いんだと誤魔化してしまった。だって、不安で怖かったんだもん。
 そのまま二学期の終業式に突入して冬休み。やっと連絡がとれて会えたのが、あの人生始まって以来の悲惨なクリスマスイブ前日だった。


 あたしは今度こそ逃げない。絶対に逃げないんだから。
 孝之、首を洗って待ってなさい。
 えっ? 違うよ! あたしは殴りこみに行くわけじゃない。
 孝之、ちゃんとあたしと向き合って話して、だった。
 
 玄関を開けるとニ月の冷たい雨が降っていた。バレンタインまで今日を入れて、あと二日。
 孝之、待っていて。あたしが行くから。今度こそ、ちゃんと話し合おう。

 あたしはクローゼット奥から旅行鞄を取りだした。ショックな記憶の断片に孝之に渡せなかった沖縄土産のシーサーが修学旅行鞄に放りこまれていると浮かんだからだ。
 見ると旅行鞄の住人になっていたお土産のシーサーは包装紙が破れていた。でも、シーサーはぬいぐるみなのであたしの部活で鍛えた握力にも無事だった。
 偉いよ、あんた!と誉めて、あたしは胸にひっしりと抱く。あたしの決意を込めて。
 あたしは破れてくちゃくちゃな包装紙を剥ぎ取り、シーサーの置物を違う袋に入れ直した。

 
 あれほど勢い込んで来たのに孝之ん家のインターホンを押すあたしの手の震えが止まらない。
 ここで逃げたら、あたしはきっと一生後悔する。未来へは踏み出せない。
 頑張れ! 怖いけど、頑張るのよ、優菜! あんたなら出来る。大丈夫だよ。
 深呼吸して、インターホンを押した。
 と、インターホン越しではなく、直接、孝之が玄関の扉を開けた。
 ふ、不意打ちだ。用意してきた言葉がどこかに消えちゃった。えーと……
「ゆ、木本、なにかあったのか?」
 あたしは玄関に突進していきそうな自分を押さえて孝之を睨んだ。
「寒い……」
 先ずは中に入らないといけない。そうしないと話しもなにも出来ない。それに、孝之の病気も心配だ。
 孝之は予想通りに躊躇ったが結局、中に入れてくれた。
 新年になって始めて入る孝之の部屋。変わっていない。それがなんだか嬉しい。
 孝之が慌てて棚の上のものを後ろ手に隠した。
 なんだろう?
「ほら、ストーブに当たれよ」
 あたしは上着を脱がないで電気ストーブにあたる。抱いていたシーサーだけ脇に置いて。
 ストーブに翳したあたしの手が震えている。寒さのためか、それとも興奮のためか自分でもわからない。
「なにか温かい飲み物でも持ってくるよ」
 孝之は隠した物を持ったまま、部屋を出て行った。多少は動揺してくれてるのかな。
 あたしはうずくまったまま、ふーっと息を吐いた。身体が緩んだ気がした。結構、緊張してたんだ。
 さぁ、本番はこれからだ。孝之はどう出るだろう。本当のことを話してくれるだろうか。
 扉が開いて孝之が戻ってきた。
「はい、ミルクティ」
「あ、どうも」
 あたしは白いマグカップを両手で受け取った。
 口をつけるとミルクティの温かさが身体内に広がった。
 何もかも融解して行くようで、ああ、心地いい……
 って、寛いでいる場合じゃない。しゃんとしないと。
 特にあたしの頭、活動してよね。じゃないと困るんだから。
 あたしはカップをテーブルに置き、シーザーを抱える。
 深呼吸をする。さぁ、気合を入れて。
 立ち上がり、机の椅子に腰掛けている孝之と向い合った。
「今日はちゃんと聞かせてよね、あたしと付き合えなくなったワケを? 納得出来なきゃ帰らないからね、あたし」
 孝之が困ったように視線を逸らした。
「病気ってなによ?」
 孝之が吃驚して、あたしを見る。
「どう……」
「キキから聞いたの」
 孝之の表情が苦笑いに変わる。
「カマをかけたんだ?」
「違うわよ! 孝之が病気を苦にして、あたしと別れて、バレンタインの次の日に入院するって聞いたんだから」
 今度こそ、心底驚いた孝之の目。
「誰に……」
「キキに聞いたって言ってるじゃない」
 本当のことなのに、真実に聞えないって、本当にもどかしい。でも、今はそんなことはどうでもいい。
「病気だから、あたしと別れるって、どうしてよ?」
 孝之が複雑な顔を見せて俯いた。何を考えてるの?
「納得するように説明してよ。孝之にはその義務があるでしょう。違う?」
「相変わらず、優菜は押しが強いよな」
「あたしの長所よ」
「短所とも言うよ」
「孝之、話を逸らさないで!」
「わ、わかったけど、ちょっと、待ってくれないか」
「ウソと誤魔化しはなしよ。したら、暴れるからね」
「わ、わっかたから、落ちついてくれ」
 孝之は考え込むように黙り込んだ。
 あたしはシーサーをぐっと抱きこむ。
 孝之が正直に話さなかったら話すまで頑張るんだから、シーサーと。
「俺の病気って、よくわからないんだって」
「うん」
「明後日、入院はするんだけど、どうなるか今後がわからないんだって」
「うん」
「だから、優菜と別れた」
「はぁ? 病気ごときで、どうして、あたしとわかれるのよ」
「病気ごときって……」
「ごときよ。あたしとわかれる理由にはならないわよ。そうでしょう?」
 孝之が困ったように笑っていた。なんで、その表情?
「優菜にかかると、ごときになっちゃうんだな。参ったな……」
 参ったのはこっちよ。あたしがどんだけ悲しいクリスマスを、年末を、正月を鬱々と暮したと思ってるのよ。
「あ、でも新しい彼は?」
 どうして、こんな大事なところで、あいつを思い出すのよ。にこにこ自称、天使候補者を捜す者の大林を。
「あれは彼じゃないわよ。冗談好きな近所の大学生よ」
 言葉にトゲがある言い方になってしまった。違うことで怒ってどうするのよ、あたし。
 落ち着いて、落ち着いて……
 手の中で不味い音がした。どうやら、また、包装紙を破ってしまったみたい。ごめん、シーサー。また、絞めてしまって。
「別れる話しはなしでいいわね、孝之」
 あたしはシーサーを差し出す。
「えっ? なに?」
「沖縄のお土産」
「後悔しない、優菜?」
「シーサーのぬいぐるみで、どうして?」
「そうじゃなくて、病気持ちの彼氏の俺でってことだよ?」
 ああ、そっちか。だったら……
「殴ろうか、孝之?」
 あたしは心底怒った顔をする。振りじゃなく、実際に怒ってるけど。
「わ、わかった。わかった。病人を殴らないでくれよ」
 あたしを宥めすかすように孝之が言いながら、シーサーのぬいぐるみを受け取った。包装紙は前と違うけど、ちょっと破れてもいるけど、中身が無事なのは保証できる。あたしは満足の笑みを浮かべる。
「孝之に、にじゃなく、必要だと思って、魔除けだし」
「に、にじゃなく?」
 そこへ、キキが入ってきた。少し開いてるドアから。
“サンタクロースの姉チャン。オ礼はカニカマ入イリのキャットスナックでイイゼ”
「えっ?」
 あたしはキキを睨みつける。
“どうしてよ? あんたは飼い主のために人肌脱いだんでしょう”
“サンタクロースのクセしてケチナ奴ダナ。アイツラにイイツケルゼ”
「優菜?」
 キキは孝之の膝の上に登り、甘えた声で鳴いた。
 キキめ。猫だから、猫かぶりじゃなく、性格悪し猫かな。
「あたし帰る。あしたまた、来るね」
 キキのいるところではこれからは油断はできない。作戦を練らないと。
 う〜ぅ。自称、天使候補者を捜す者に会ってから、日常生活が厄介になった気がする。人間同様に猫までも気にしなきゃいけないなんて。面倒過ぎるって。
“姉チャン、明日、忘レルナヨ。ソレト、アイツラに孝之ノ病気を頼ンデクレヨ”
“孝之の病気のなにをよ?”
“アイツラ奇跡の力を持ッテイルンダゼ”
 奇跡って、それって、孝之の病気が治せるってこと?
 キキがまた、孝之の膝の上で鳴いた。
 あのにこにこ自称、天使候補者を捜す者はそんな凄い力を隠し持っていたの?
 とても信じられないんですけど……



「どうやら、修復したようですね」
 だーっ! 毎度々々、本当に心臓に悪いご登場。吃驚した。
 いつも存在を忘れてる時に限って現れる人物。そう、自称、天使候補者を捜す者である大林のことである。今回はキキの言うことが気になっていて、会いたいとは思っていたけど、このタイミングとは予想していなかった。油断した。
 その時、あたしはチョコフォンデュに消えたチョコの変わりにチョコ売リ場で物色していた。もちろん、本命の孝之にあげる用をである。お気に入りのメーカーの大きな塊はもう売ってないので、出来あがってるのを原料にすることにしたのである。
「あたしのことがわかるんだったら、少しは空気を読んで現れてよね」
「私もこれで忙しいんですよ」
 にこにこ顔で答える姿に毎度、胡散臭さを感じてしまう。
 忙しんだとしたら何に忙しいんだろう?
「まぁ、いいわ。あたしも聞きたいことがあったし」
「私のはそこのアーモンドが入っているのでいいですよ」
「なんの話よ?」
「もちろん義理チョコです。私の分の」
 はいぃ? なんで?どうして?あたしが貴方にあげなきゃなんないんでしょう?
「ひどいですね。仲間じゃないですか、世界に愛を広げる同盟の」
 聞いてるあたしの方が赤面してしまう。どうして恥かしげもなく言えるのよ、その言葉。
 あたしは複数の嫌な視線に気がついて、自称、天使候補者を捜す者である大林の腕を引っ張って、混んでいるチョコレート売り場から遠ざかった。
「空気を読みなさいよと言ったでしょう」
「バレンタインに相応しいと思いますが」
 これって、どこかずれているか、あたしをからかっているかのどちらかよね。このにこにこの顔を殴ったら、少しはまともになるのかしら……
 あたしの狂暴な思いを知っているのに、自称、天使候補者を捜す者である大林のにこにこ顔は変わらない。
 う〜ん。心を読まれるのを承知の嫌味が通じないとは、敵は手強い。
「今日はバレンタインのサンタクロースの予定表を持って来ました」
 あたしは差し出されたファイルを見る。製作者、大林喜平。喜平?今時珍しい名前よね。
「十二月の月という意味ですよ」
 ふ〜ん、そうなんだ。
 なに? この分刻みのスケジュールは? 授業以外はすべて埋まってる。
「なんと言っても一年に一度のイベントですから、超過密スケジュールになります」
「あたしのバレンタインはどうなるのよ?」
「ここに入ってますよ」
 指差された場所を見る。
 登校前に孝之ん家によってチョコを渡す。『あとは貴方の頑張りしだいで時間が出来るでしょう♪』って、何これ?!
「私もサポートしますから、頑張りましょうね」
「悪いけど、あたしは学校が終わったら孝之とバレンタインを過すの」
「だったら、頑張らないとですね」
「聞いてる、あたしの話し?」
「無事に終了したら、孝之君の病気の相談にのりますよ」
 うっ! しまった。先手を取られた……
「では、当日にお会いしましょう」
「ちょ、ちょっと……」
 呼びとめる間もなく、自称、天使候補者を捜す者である大林喜平はスーパーの人ごみに消えた。相変わらずな言いたいことだけ述べて去るスピードは早い。
 くっやしいー! あたしの大切なバレンタイン・デーが人質に取られてしまった。しかも、一番不味い人物に……
 でも、めげてる場合じゃない。あたしと孝之のために、あたしは頑張る。シーサーと約束したんだから、負けない。


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