イメージの集約、イメージの構築、イメージの具現化――。
 
 魔法力は精神力に拠る。
 だから、その人物のイメージ力量いかんが常に問題になる。
 彷彿とした鮮明なイメージの本流がなんなく構築できる時もあれば、その逆の場合もある。あるいは、本流の許容範囲外を越えて収拾のきかない場合も起りえる。

 本来、非常に微妙で繊細なはずなのそのワザが、近頃、荒っぽくて粗っぽい新手の魔法に押されていた。それが流行の兆しを見せていて魔導師の印象を悪くしていたのである。その原因は南西の国の水争いの諍いが戦争に発展したことに無関係ではなかった。今は小競り合いですんでいたがそれが何時、今は無関係な生活に飛火するかわからないからである。一つの戦争はまた、別の新たな戦争の火種の素養をも孕んでいるのだから。
 実際、戦争を睨んだ魔導師の仕事の供給が増えてきていたのは事実だった。不安が猜疑心を呼び、魔導師の仕事を増やす。時代が物騒になるとその図式が浮上するのが世の常。しばらく安定していた時代においてもそれは変わりないことである。

 あたしもケインも魔導師でお飯を食べてるのだから、そういう印象はなるべくない方が面倒を呼びこまなくていいのだけれど……。それに、哀しい戦争絡みで稼ぐのも嫌だし……。
 婚約者のケインとの新居に持っていく為の物を選別しながら、あるいはいらない物をゴミ箱に魔法で飛ばす作業をしながら、ミランダはそんなことを考えていた。
 ミランダの手がふっと止まった。古い流線型の模様を施した金属の小箱が出てきたのである。
 この小箱、何が入ってるんだっけ?
 それに、どうして、魔法細工の小箱?
 ミランダが魔法で封印された小箱をあけると、そこにはたくさんのなかったことにしたい類の試作品が並んでいた。
 ……?!……。
 見なかったことにしましょう。
 そう思って、ミランダが箱を再び封印しようとして、“それ”が目に飛びこんできた。“それ”は暗緑色で内側に名前が刻まれた指輪。青銅を混ぜた物で作られた“それ”は鈍い輝きを放っていた。
 魔物の指輪だわ。こんなもの創った憶えはないけれども…。
 指輪を取り出して、刻まれた名前を見る。ギルと刻印されている。
 ギル…?
 しばらく、それを凝視しながら考え込むミランダである。
 ギル、ギル、ギル………。
 ミランダがその名前に思い当たった瞬間、指輪がその手から離れて床に転がった。彼女の顔には引きつった笑いが浮かんでいる。
 …そういえば、忘れていたわ、ギルのこと……を。
 冷や汗が背中を走った気がしてミランダは身震いした。
 あれから、どのくらいの時間が経過したのかしら…。
 お師匠様のところにきて、2年目の時だったと思うのだけれど…。
 ギルは、まだ、あそこに、あのままの状態でいるのかしら?
 それとも……。
 気になりだしたらきりがない思いがミランダの胸中でバタバタしていた。
 どうしようかしら?
 お師匠様にはバレてないようだけれど。
 もし、結婚式の宴会で聞かれてしまったら、どうしよう?
 ここはやっぱり、確めないといけないわよね…。
 でも、気が重いわ……。
 指輪を床から拾い上げ、しかめっ面をして、しばし躊躇うミランダである。
 ミランダの十八番が出る。
 ミランダ、女は度胸よ! 行動よ!
 すっきりして、結婚式に望みたいじゃないの。
 決心して、ミランダは指輪を右手に嵌めた。片付けをその場に放置して、記憶の中のその場所へと――。
 風になって飛んだ。




 ミランダがギルと出会ったのはまだ、見習時代のことで、師匠の元で修行していた頃のお話しだ。
 ギルは元々、ミランダの師匠の数ある中の内のイチ魔物で、稀に遠方へのお使いなどをさせられる以外はあまり活躍の場が与えられなかった魔物である。当時、ミランダが師匠の元に来てからは一度もお呼び出しがなかった師匠のお気に入り以外の魔物であった。それゆえにギルは彼女にとっては未知の魔物だった。
 ある日、師匠が仕事で数日間留守をした時に、掃除中にミランダに善からぬ悪戯心が浮かんだ。
 魔物に掃除とか家事仕事をさせちゃえばいいのよ。誰も見てないんだから。その間に、魔法の練習も勉強も出きるもの。
 ミランダがそう考えて、師匠の指輪の箱から選んだのがギルの指輪だった。師匠が頻繁に呼びだす魔物だとバレる恐れもあるかもしれないからと、わざわざ認識のない魔物を選び出したのである。
 この当時、ミランダは魔物を下僕にする方法は修得してなかった。だが、操る方法だけは知っていた。魔物は自分の指輪を嵌めた者の命令に従うということを。


 鏡のような湖水を腕に抱いたデューオ森の姿は以前と変わりないようだった。ここは異空間との接触ポイントが多い土地柄であるから、あらゆる開発から取り残されいるようらしい。
 その静かな佇まいにほっと胸を撫で下ろすミランダであった。
 これなら、きっと、ギルはあのままの状態でいるはずよね。
 ミランダは湖の一角にある岩場に降り立った。そこに目的の洞窟を見出し歩き出した。すると、足元がだんだん湿っている状態にミランダは気がついた。
 変ね? ここは乾いた地質だったはずだけど…。
 だが、その傾向は中へ行くほど湿り気が増すようだった。洞窟の奥は湖と反対側の丘の方に向っている。水が入り込む余地はない状況である。放置している間になにかが起っているのだろうか? とミランダの胸中に不安な翳が過っていく。


 まだ、魔導師見習だったミランダは指輪を用いてギルを呼び出し的確な指示を命じた。いつも、師匠がミランダに指示をだすような様子さながらにである。家事仕事は着々と終了していく。
 ギルは命じられたことをこなしながら、ミランダに愛想を振り撒いていた。
 魔物から、しかも見目麗しい、たとへ、ミランダの好みとは多少違っていても、それはそれなりに気分のよいものである。他の魔物達はミランダには無関心で魔導師見習の小娘には目もかけなかったからなお更である。まぁ、この時は魔導師見習のミランダを混乱させない為に師匠が彼らにそう命じていたのであるが。それを知らなかったので仕方がなかったのである。
「なあ、美しいミランダ、オレ様を自由にしてくれたら、なんでも夢を叶えてやるぜ。何処でも連れて行ってやるぜ」
「ギルは口が上手いのね」
「ミランダは美しいから、オレ様はなんでもして上げたくなっちゃうんだよ」
 ミランダはつい、ポッとしてしまい、操っていた魔法の加減を間違えてしまった。手の中のそれ、紅火炎石の結晶は悲惨に壊れてしまっていた。
「大変! 壊してしまったわ。これではお師匠様が帰ってくる前に術を修得できないわ…」
「紅火炎石なら、この近くにあるじゃないか、オレ様が連れて行ってやろうか?」
「本当、ギル?」
 ギルが愛想のいい顔で手を差し出した。
 ミランダが差し出された手を掴むと、ミランダの周りで空間だけが飛び去って動いていく。
 魔物の移動ってこういうものなのかしら? ミランダがそう思った時には洞窟の中の広場のように開けた空間に着いていた。
「ほら、そこにあるよ」
 ミランダは右手の壁にそれを見つけて喜んで駆け寄った。だが、取り出そうとして上手くいかずに悪戦苦闘になっていた。
 そこへすかさずギルの言葉が親切げにかけられた。
「取れないのはその指輪をしているせいさ。外さないと取れないぞ」
「どうして? そんなの変じゃない」
「オレ様は炎の魔物だから、炎を内包した紅火炎石は反発し合う運命なんだよ」
「でも、指輪を外したら…」
「綺麗なミランダ、オレ様を信用してくれないのか?」
 美しい容姿に迫られ十五歳になったばかりのミランダはギルを信じてもいい気になってしまった。
 彼女が指輪を外そうと指輪に視線を落した瞬間、ギルの笑い声が聞こえたような気がした。
「麗しのミランダ、どうしたんだい?」
 ミランダは指輪に手をかけて、指輪を覗きこんだ。
「嘲笑したような、あの笑い声はなに?」
 そうミランダが言った途端、指輪からギルの声が問いに答えて言う。
『馬鹿な見習魔導師の顛末を想像して笑ったのさ。すっかり、オレ様のいいなりになってる愚か者をさ』
 ミランダは指輪を外すのをやめて、ギルに視線を戻した。
 ギルはなにも話してない。指輪を持つ者に魔物は嘘が言えないはず。
「あたしは貴方にとって馬鹿な見習魔導師なの? ギル」
 ギルはじっと見つめ返すだけでなにも言わない。
 ミランダは指輪に再度繰り返して言った。
『その通りさ。馬鹿な見習さん』
 ミランダはやっと悟った。魔物の本心を知りたいときはこうやって、指輪に的確な質問をしないといけないんだということを。
「美しいミランダ。それはオレ様が言たんじゃないさ。指輪に魔導かなにかがかかってたのさ、きっとそうさ」
「指輪を持つ者が命じる。それが本心だとしたら、深い氷に閉ざされて呼び出されるまで沈黙を守りなさい、ギル」
  

 不意に笑い声にも似た異様な音の羅列が聞こえてきた。
 陽気で楽しげな響きに聞こえる、と、ミランダは思った。
 それはどうやら洞窟の奥から聞こえてくるようである。
 突然、狭かった通路の視界が開けて大きな広場の空間へとミランダは誘われた。そこからまた、幾本かの通路が延びている。
 確か、右から三番目の通路の奥だったと思うわ。
 ミランダは自分の記憶に従って、広間を横切り、迷わずに選んだ狭い通路へと入っていく。
 音はだんだん大きくなって聞こえてきていた。まさか……と考えて、ミランダは頭を振った。
 今更、ここに到って、要らぬ創造を巡らしてる場合ではないわ。すぐにそれの正体がわかるのだから。
 ミランダは真っ直ぐ顔を上げて、何時でも行動に移れるように慎重に歩を進める。
 そろそろ目的の場所ね、とミランダが思った時、先の方が明るくなっているのが見えた。ミランダはゆっくりと深呼吸すると用心深く、先程と同じぐらいに広がった場所へと踏みこんだ。
 ミランダの予想通りに広場の空間の中央には氷付けにされた魔物が立っていた。その姿は以前と変わらず、なかなかの美丈夫である。指輪に囚われている魔物達は魔導師に創られた人間を模した器に閉じ込められていることが多かった。ミランダの師匠は造詣が上手く、どの魔物達もそれは見目麗しかったのである。
「やぁ、ミランダ! やっと、オレ様を思い出してくれたんだな」
 氷の中の魔物が抑揚はないが明るい調子でそう言った。それと共に先程の異様な音は止んでいる。どうやら、出所はコイツだったらしい事をミランダは悟った。
 やっぱり、氷が溶け出しちゃったのね。
 でも、ギルは炎の魔物だから。あるいは…。
 指輪をした方の手をミランダはぎゅっと握しめた。
 ギルは今にも薄くなった氷から飛び出して来そうに見える。ギルを覆った氷は以前この広間の8分目を占領するほどに巨大な塊だったはずなのにである。
「ギル。元気そうでよかったわ」
 一瞬、ギルの表情が固まったようだった。指輪をした者の呼びかけに身体が反応するはずだからそのせいなのかもしれない。だが、魔物相手に油断は禁物だった。彼らの大半はその身が自由になるためだったらなんでもやりかねないのだ。事実、昔、ダマされそうになったミランダでもある。
「ますます綺麗な娘っ子になったじゃないか。オレ様は嬉しいぜ」
「相変わらず、口が上手いわね、ギル」
 この口の上手さに、その容姿にダマされて危うくなるほど、未熟ではない今のミランダである。だが、用心は怠らないのが魔物への対応。
 もし、ギルが自身の炎の力で氷を解かしていたとしても、このミランダに名前を呼ばれた時点で、もう出来なくなっている。魔物は自分の指輪を持つ者の前では命令以外の力は使えないのである。たとへ、魔物自身がそう考えたとしてもである。
「オレ様を迎えに来たんだろう? さぁ、ここから出るように命じてくれよ」
 ミランダは考えあぐねていた。ここからだしてどうするの?と。 ギルを新居に連れては行けないし、お師匠様の元に送り返すには勇気がいる。無断で指輪を持ち出し、ギルをここへ閉じこめたのだから。しかも、今まで全く忘れていたという、オマケまでついている。さて、どうしたものかと……。
「ギル、氷を溶かして、どうするつもりだったの?」
「もちろん、ますます大輪の華のように美しくなったであろう君に会いたいがゆえだよ」
「私に報復して、自由になるためにじゃなくて?」
「オレ様はこんな所で一人で淋しかったんだぜ、ミランダ、わかるだろう?」
「もう一度聞くわ。私に報復して、自由になるために氷を溶かしていたの? ギル」
 指輪の持ち主に魔物は嘘はつけなかった。
 ギルはじっとミランダを魔物特有のその美しくて無機質な表情を宿した双眼で見遣っていた。
 ミランダは溜息を吐いて、指輪に向って同じ問いを尋ねる。
 すると、ギルの言葉が指輪から零れてきた。氷の中のギルは口を堅く結んだままであるのに対して。
『そうだよ! オレ様はお前に仕返しをして、指輪を争奪して自由になるつもりだったのさ。その為に指輪の支配が弱い部分をついて、氷を溶かしていたのさ、恐れ入ったか!』
 指輪を外していた期間が長いと稀にこういう事が起り得る。その為に、特殊な指輪保管箱が作られるのである。迂闊にもミランダが入れていたそれは単なる開ける人間を選ぶだけの魔法仕掛けの小箱だった。その為に効力がなかったのである。
 魔物が勝手なことをするほど厄介なことはなかった。魔導師に創られた人間を模した器は魔物からあらゆる魔法力を引きだせる。本来、属性以外は関与できない彼らが。
 魔物の取り扱いは厄介きわまりないものだわ。
 特にギルのように懲りるとか反省するとかない魔物は…。
 もう少し、思い出すのが遅かったら面倒なことになっていた事実に、ミランダは身震いをして、ホッと胸を撫で下ろした。
「お前もあの嫌な魔導師とそっくりになったな。あいつも、オレ様を厄介者扱いにして、忘れてそのままなのだからな」
 お師匠様が厄介者扱いしてたの、ギルを? だったら…。
 ミランダはにこやかに微笑むと、ギルに命じた。
「指輪を持つ者が命じる。深い氷に閉ざされて呼び出されるまで沈黙を守りなさい、ギル」
 ギルは再び厚い氷に覆われだした。
「やめろ! この馬鹿者! オレ様を…」
 ギルが言えたのはそこまでだった。氷は全てを閉ざし、ギルは氷の中の住人へと戻っていった。仕上げにミランダはギルのいる広場へ続く通路の岩盤を壊して閉鎖した。
 これで、いいわ!
 問題はこの指輪ね。指輪保管箱を買って帰らなくちゃ。
 結婚前でいろいろ出費がかかる時なのに、散々だわ…。


 ミランダは馴染みの魔法細工の工房へと、風に乗って飛んだ。今度はそんなに急がなくてもいい。ゆったりと……。
 そんな風はどこか、ミランダの溜息が宿ったような感じだった。眼下には鏡のような湖水を腕に抱いた美しい森が悠久の時を刻んでいる。